バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

取り残された者のためのトランスジェンダー 史

20歳のときにトランスジェンダー当事者として、自分が共感できる文章の書き手はふたりしかいなかった。そのひとりがヨシノユギさんで、こうやって2020年になって新しくヨシノさんの文章が読めてうれしい。

吉野靫『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』

(ちなみにもう一人は、本書でも触れられている「るぱん4」さん)。

 

ヨシノさんは2006年5月に大阪医科大付属病院で乳房切除手術を受け、病院側のミスにより患部が壊死して裁判をしていた人だ。トランスコミュニティは昔から閉鎖的な村社会みたいなところがあり無責任にウワサを流す連中も多かった。せっかく性同一性障害医療の扉があいたのにそれを閉ざすのか、といった形で医療ミスを受けた本人を中傷したり、根も葉もないウワサを流したりする人がいた。

自分にとってのヨシノさんはクロマニヨンズが好きだったり、あきらかシャイっぽいのにナルシストだったりするカッコよくておかしい人なのだが、本書はそのような牧歌的なこととは対極にある「砂漠」の本だ。

20歳のときにヨシノさんが裁判をすると聞いて寄付をした。そんな自分はヨシノさんの裁判のときには応援をする側にいたけれど、ヨシノさんが活動の先輩じゃなかったらなにかの間違いで石を投げる側に言っちゃっていたかもしれないと思うことはある。

本書では、性同一性障害特例法ができたときにだれが取り残されたのか、ということも描かれている。読んでいると、明らかに自分は「取り残す側」ポジションにいるんだなぁと思う。昔から自分は東京にいて自民党の議員にロビイングとかするわけ。それは安易に「そういうやつも必要」とか言って片付けるような話じゃなくて、「そういうやつ」にはそれなりの振る舞い方というのがたぶんあるとも思う。

昔からヨシノさんとそういう話をしてたなぁと思い出した。

というのはウソで、わざわざ思い出すでもなくヨシノさんと話してきたことは今でもよく考えている。「すべてを失うつもりだと思ってもだれかが隣にいたりする、それが運動というものです」と、裁判のときにだれかが書いていたのを今でもよく思い出すし、たぶん生涯忘れないんだろうなと思う。運動はいいものだと思ってる。

 

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