バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

自分たちは「代表されていない」という感覚

ゴーイング・メインストリーム 過激主義が主流になる日』を読み終えた。気候変動懐疑論や反ワクチン、白人至上主義などのグループに潜入調査して現場を解き明かしていく作品。

この本では、さまざまな「過激主義」と呼ばれるものの内部に著者が潜入調査し、イベントや集会に参加し、テレグラムでネットワーキングを行っていく。過激主義と便宜上ここでは書いているが、かれらはそのように名指されることは当然不満であろう。

sayusha.com

さまざまに示唆に富む本だったので、興味深かった点をいくつかメモしておく。

イデオロギーがぶつかっているのではない

こうした過激思想の根幹をなしているのは、何よりもまず、「既得権益層(エスタブリッシュメント)」への根深い不信感である。エリートへの反感と不信がデフォルトになった社会において、ポピュリズムの支持者が抱えているのは私こそが弱者であり、自分たちは「代表されていない」という感覚、そしてまた現場への深い失望と苛立ちである

清水知子さんの解説の引用になるが、発端としてはこれに尽きるだろう。「私」、つまりアイデンティティの問題に根ざしているのであり、実はイデオロギーがぶつかっているわけではない。例えば反トランスジェンダーの一点で、フェミニスト運動の一部に関わる人が、中絶反対派の極右のイベントに参加する。プーチンのような強い男性リーダーを支持する人たちがトランプを支持し、最初は中国憎しだったトランプ支持者が、中国がロシアの同盟国としての存在感を増すや「習近平はいいやつ」とナラティブを変える。このような信じられないような連携はイデオロギーによる運動では考えにくい。もとにあるのは不信感、ケアされていないというアイデンティティの危機である。

陰謀論どうしは繋がっている

コロナ政策への不信感がきっかけで、子供たちの人身売買をする地下組織の陰謀論を信じるようになる人がいる。気候変動懐疑論のネットワークにいた人が、トランプ信奉やアンチLGBTの運動にも関わるようになる。一つのグループに入ると他のグループからも情報が流れてきて、接点が生まれる。メディアも政府も信じられない、という共通の感覚から、過激主義どうしはゆるかに繋がっている。例えば白人至上主義者は、コロナについて有色人種による陰謀だと考えたり、気候変動の話題は白人から金をむしり取る陰謀だと考える。コロナや戦争、多様性の包摂をめぐる社会の急激な変化といった不安定要素は、このような過激主義の入り口だが、それぞれ結局のところQアノンにつながっていく。

予想のつかなさ

過激主義の多くはトップダウンではなく脱組織的な動き方をしている。イデオロギーは曖昧で、予想もしない連立を組み、既存メディアへの不信感から生まれたオルタナティブなメディアでは、全く異なる「事実」が報じられている。他の人たちと見ている事実が違うので、民主主義を回していく上でのコミュニケーションの土台が成り立たない。人々が不安定さを抱えている社会で、メディアをフェイクニュース既得権益であるとして政治家が攻撃することがさらなる不安定を招く。真実を知りようがないのだから残された道は「強いリーダーに従うしかない」。そのため、ある種の権力者にとってはメディアを攻撃するのはメリットが大きい。

誰が利益を得ているのか

気候変動懐疑論では、化石燃料の企業がお金を出して世論形成をしている。またロシアはリベラル的な価値観に対する情報戦争を仕掛けている。ターゲット国の社会を不安定化させ、社会に不和やカオスの種をまくものであればなんでも良いといった様子を見せている。ロシアのプロパガンダの専門家は「真実などどこにもないし、なんでもあり」と言う。ロシアの偽情報は、しばしばクレムリンからQアノンに流れ、ネットで話題になった極端な意見がFOXニュースで紹介される。つまり、クレムリンの誤情報の最終的な目的地は西側の右派メディアであるという。アメリカを不安定にさせる目論みなのであって、アメリカの国益にプラスであるとは思えないところだが。

考えられる対策

本書には提言に多くのページが割かれている。関心がある人はぜひ手に取ってみて星が、個人的には「気候アクション、移民政策、人権、偽情報分析、急進化予防に取り組む人たちは垣根をこえて連携すべし」の箇所と、リベラルな価値観への信頼を高めるのであれば事実だけでは足りず、人の感情に訴えかけるコンテンツが必要であるというところに共感した。また、脱過激主義の手法として、過激主義の内部にある日和見主義、矛盾する思考について指摘することが有効であると言うのも一理あるだろう。例えばコロナ否定論者の中には、ワクチンを打たなかった家族が亡くなったことで考えを変えた人がいる。

私も以前、トランスヘイトをやめた人にインタビューをしたことがある。彼女は、反トランスの主張が先鋭化して、女性の権利を守るという話だったのが「レイプされたって(トランス女性は)妊娠しない」などの書き込みがなされている様子に違和感を持ち離れていったと話していた。その後、自分がトランスジェンダーについて知識を持たないまま書き込んでいたことに気がついた。

trans101.jp

私の観測範囲では、トランスの権利に否定的な人たちは、しばしばトランスではない女性を「本当は男性だ」として外見を中傷する。また男児を育てる母親に対しても、女子トイレを利用すべきでないとしばしば述べる。韓国では、トランスの権利に反対していた人たちが「移民を受け入れるとレイプが増える」として移民排斥の声もあげていた。しかし、移民の中には当然女性も子どももいた。「女性や子どもを守れ」とのロジックは、古くから移民、障害者などを排斥する道具として使われてきたのであり、別に今さら新しいスローガンではないのだと、反トランスの扇動に乗せられている人たちが早く気づいてほしいところだ。包摂を訴える人たちは、女性や子どもの安全が大切であるという前提には反対していない。それらは社会全体にとって重要な問題である。

とはいえ、根本にある「ケアされていない」とか、社会に対する不安・不信感・聞かれていないという感じを社会がどう取り扱うか、という視点抜きには、過激主義の台頭や主流派といった問題はこれからも続くのだろう。