バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

トランスとスポーツをめぐる話

今回の東京五輪は、トランスをカミングアウトした選手が出場するというので、トランスとスポーツをめぐる話に焦点があたっている。

トランス女性が女性競技に出るのは体格差などを考慮しない、公平さにかけるのではないかという議論もあった。今回出場した中ではNZの重量挙げ競技に出たハバード選手に注目(および批判)が集まったが、ハバードはあっけなく敗退した。会場を笑顔で去り、感謝を伝える礼儀ただしい姿が印象的だった。

試合をあとから映像で見た。ハバードのあとにでてきたUSAの選手のガタイもすごくよかったし(ハバードの外見を批判していた人は、この選手の写真を見たらなんというのだろうか)、体格の小さなアジア系の選手がとんでもない重さを軽々と持ち上げていた。これまで興味を持つことのなかった競技だが、意外と面白かった。

競技参加をめぐって

「トランス女子が全部のメダルをかっさらい、女子スポーツを終わらせる」という恐れを口に出す人たちがいる。「海外ではすでにそのようになっている」と言い広めている人がいて、真偽を確かめずに信じる人もいる。

過去10年以上にわたりスポーツでは、どういう基準があれば公正性が担保されるか、インクルージョンをどう果たすかの議論がされてきた。専門家たちの知見も重ねられている。2021年現在におけるスポーツ科学の知見がすべてだとは思わないが、それなりに科学的な判断がされていて、結果としてトランス女子は結構シス女子には負けている。

アメリカの状況は、この記事にも詳しい。

front-row.jp

ハバードがあっけなく負けたことは「生物学的事実」とやらを強調する人たちの目にはどう映るのだろうか。Twitterをながめていたら、こんなツイートをする人がいた。

「トランスの選手は勝利すると袋だたきにされ、負けるとどうしようもないアスリートだと思われる」

アドバンテージがあるはずなのに負けたのだから例外的にどうしようもないアスリートなのだ、という判断をされる可能性が高い、ということだろうか。例外処理してしまえば、トランスアスリート脅威論(メダルをすべてさらってしまう)はこれからも維持され、競技から排除すべきだと主張し続けることができるのだろう。

そのような立場からみれば、ホルモン値などの制限をつけた上でトランス女子とシス女子で意味のある試合が成り立つという結論には、やはり到達しないだろう。

切符を手に入れること

ハバードの笑顔で考えさせられたこともある。

思い出したのは先月みたテキサス州のトランス男子が出てくるドキュメンタリー。彼は女子競技にずっと出させられていて連戦連勝しても全然嬉しくなさそうだった。

それが男子競技に出られるように認められ、はじめて試合で負けて悔し泣きした。そのあと試合で勝ち、結局男子競技でも何位かで表彰された。

あの男子競技で負けたときの悔し泣きと、はじめてスポーツやれた喜びみたいな入り混じった表情、ことばには簡単にあらわせない、胸をつき動かされるものがあった。

このドキュメンタリー

www.youtube.com

トランス男子の彼氏をずっとサポートしてきた彼女も試合を観に来ていて、号泣。

めっちゃかっこよかった。

トランスの選手をあれこれ中傷し、スポーツに参加しようとする理由をねじまげて捉えようとする人たちがいる。勝つためにトランスするんだろうとか。

でもそういう低次元の話をしていない。

トランスのアスリートの人生は複雑だ。子どもの頃からその競技を続けてきて、強い選手であればあるほど周りみんなに知られて、プロアスリートになればファンも出てくる。性別移行を秘密でやるなんて人生の選択肢はなくなる。競技と性別、おだやかな暮らしを天秤にかけざるをえない。アスリートのトランスの多くが「競技を引退したあとにしか性別移行できない」と語っているのが事実である。

それでもスポーツが好きでスポーツがやりたいと思っている人たちがいること、単純にすごいパワーだなとも思う。

 

*トランスとスポーツの経験については、先日友人の河津レナさんにこちらの動画も翻訳してもらった。とてもいいビデオなのでぜひみてほしい。

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