バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

「休めっていうけど、休んだら差別なくならないじゃん」へのひとつの回答

TPATH(Transgender Professional Association for Transgender Health)というトランスが集まってトランスのヘルスケアを語るグループのカンファレンスに週末参加した。国際会議だが、例に漏れずcovid-19のためにオンライン開催である。
 
先日はオランダ大使館から交換留学プログラムの案内がきて喜んだが、内容はZOOMのミーティングだった。オランダの現地にいってチーズを食べることができず落胆したが、手軽にコミュニケーションがとれるのはいい。TPATHの会議もZOOMの機能をつかって英語、フランス語などの通訳が選べたし、情報保障で字幕がついたり、スライドや動画をアップロードしてくれた人がいたおかげで時差があっても追いつくことができたり、むしろ多様性に配慮した内容となっていた。Twitterの #TPATH2021というハッシュタグで、議論のサマリーもおえる。知的インプットをするにはオンラインで十分かもしれない。
 
その中でセルフケアについてのセッションが面白かった。アクティビストの燃え尽きには参考になるかも。
以下は私の英語理解なので違ってる可能性があるけど、こんなかんじ。
 
セルフケアして、結局元の場所にもどされるの?
 
セルフケアのイメージは西洋中心主義的で、極度に個人主義的じゃないのかという問題提起をしている人たちがいた。
 
「自分と向き合って回復して、また元のコミュニティで戦力として働きましょう。セルフケアにはこの商品を買おう。あのセルフケアはもう試してみた?(資本主義)」という枠組み自体が、なんかおかしくないか?
なんで元のコミュニティはそのままなの?そこにかえらなきゃいけないの?
しんどくなるのは個人的な問題なの?
セルフケアしようにも、この場を離れたところで差別無くならないし、助けを求めてる人はそのまま。子育てしてる人はそもそも時間も取れない。職場ならともかく家事や育児はどうすんの。ジェンダーのこと考えてなくない?セルフケアしようにもできない構造があるよ!と。
 
個人主義を超えたケアを模索しよう
 
そこで提示されていたモデルがself soothing(気晴らし)とself care(個人が地に足ついて意味と繋がりなおすこと)に加えて以下の二つ。
 
元ネタはこれっぽい

community care

(ケアさせてくれない世の中のシステムから一歩ぬけだす。子ども/おとな食堂みたいなのに関わったり、子育てしてるとセルフケアしにくいからコミュニティでの子育てにアクセスしてみるとか)

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イラストの出典は上記サイトから
 
stracture care
(さまざまなケアを可能とする構造に変える)

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トランスの場合だったら、トランスのスポーツ・サークルを作ってみるとか、コミュニティでご飯食べる会をやるのがcommunity careで、stracture careは近くのジムがトランスインクルージブになるよう働きかけるのが例としてあがってた。
 
別に個人でヨガをやってもいいし、ポテチを一袋気晴らしに食べてもOKなんだけど、おきている問題に対して個人的アプローチでケアをしようとすることだけが答えではないし、なんでも個人的に捉えようとするのは西洋中心的な個人主義の弊害っぽいかも、というお話でした。
なかなか面白かった。