バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

カンガルーの夢

6月はプライド月間だ。トランス男性として、さらに昨今の人種差別をめぐる議論においてアジア人でもある私は、勤め先の外資系企業で声をかけてもらえる機会が多い。

社員紹介のインタビュー記事が出て、チャットでみんなに「ナイス」と声をかけてもらえる。

www.change.org

社内でもっとも英語を話せない人間である私に、こうやってコミュニケーションの機会をくれる会社には本当に感謝している。私がLGBTの権利に情熱を抱いていることは英語が堪能じゃなくてもみんなに伝わる。どんなキャラなのか伝わりやすい、という意味でトランスのアクティビストであったことは私にとってすごくラッキーだったし、私の限られた「トランスでいてよかったこと」のひとつは、英語がボロボロでもみんなに「がんばれよ」って言ってもらえることだと思う。

昨年、会社の研修でサンフランシスコを訪れた。

LGBTQの社員だけで小さな集会をもった夜は、ちょうど11月20日の「トランスジェンダー追悼の日」で、暖炉の前でみんなで犠牲者のことをおもった。

この1年だけでもわかっている限りで 331人のトランスがトランスであるという理由で殺された。単にトランスである、というだけでなくて、肌が黒かったり、ホームレスだったり、セックスワーカーだったり、女性だったりすることで殺された。

死について身近に考えたことのないLGBTQの人間は少ないだろう。他の人とちがうと気がついた子ども時代。あるいは胸が膨らんできたり、すね毛が生えてきたりすることの耐えがたい恐怖におそわれる思春期。大人になってからも、そういう人が多いように思う。

自分が出した2冊目の本に書いたが、私自身も何人もの友人を自死で亡くしている。先日はトランス男性の友人が子宮がんで去年亡くなっていたことを知った。まだ若いのに。20歳の頃、映画を観に行ってパフェを一口食べさせてくれた。連れて行ってもらった古着屋はもう無いな。トランス男性は婦人科に死ぬほど行きたくない人間が多い。文字通りだったのだろう。いろいろ思うけど30代過ぎた頃から、人は死ぬんだなあと思うようになった。

自死は防げる死だ、というのは公衆衛生学上はそのとおりかもしれない。死にたいという人に「好きにしろ」とは言わない。生きていてほしいと思う。でもどこかで、そういうこともあるよな、ということも知っている感じだ。

2020年6月の世界はアメリカで職場のLGBTQ差別が禁止されるなどうれしいニュースもあるけれど、トランスパーソンのひとりとしては気が滅入ることのほうが多い。

ハリー・ポッターの作者であるJKローリングがBBCのポストコロナ時代の公衆衛生について書かれた記事の中に「女性、少女または生理のある人」と書かれたいたのをみつけて「生理のある人?女でいいじゃんww」とでもいうような発言をして炎上していた頃、私はもちろん亡くなったトランス男性の友人のことをちらっと思い出したけれど〔生理のある人、というのは「女性の病気」と言われたら絶対に受診したくないと思うトランス男性の健康や命を守るために大切な表現だ〕、SNSではJKローリングこそが被害者ということで、世界中でトランスたたきの投稿がふきあがった。

www.cyzowoman.com

トランスヘイトのオンライン署名が立ち上がり、それを真夜中に社内チャットに投げたら「寝てんの?」と海外のトランスの同僚から心配された。そんな彼も「TERFのブログを一晩中よんでしまって寝れなかった」という。今度みんなで映画でも観ない?と誘われて、あがったのが先日私が友人たちと上映会を企画した「メジャーさん」だったので、ちょっと笑った。世界のあちこちに私みたいな人がいる。明日私がなにかの拍子で死んでしまったとしても同じような考えの人はいる。

オーストラリアの先住民のことわざに「カンガルーを殺してもカンガルーの夢を殺すことはできない」というものがある。目に見えない精霊やスピリットの話だと思うけれど、このことは他の文化圏で闘っているアクティビストの話を聞くとよく感じる。たくさんの人が殺されたり、人生に戦いつかれて死んでしまった。でも、そのあとでもしぶとく頑張っている人が世界中にたくさんいる。うまくいった話だけでなく、うまくいかなかった人たちの死にエンパワーされることもある。

先日カナダに亡命中だったエジプト人レズビアン 、サラ・ヘガジ。30歳の若さで人生を閉じた。彼女はライブコンサートでレインボーフラッグをかかげたことで逮捕され拷問や性的虐待を受けた。写真はそのときのもの。同じ夢を世界中の人がみている。