バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

シューレとの今後の関わりについて

昨日あるツイートを削除した。それは今年の正月に、東京シューレの発行したDVD「不登校を経験した私たちが見た不登校の歴史と今」の内容が素晴らしかったことをつぶやいたツイートだった。これからそのことについて書くけれど、まずは自分のツイートがサバイバーの人たちの気持ちを刺激して新たなる痛みを作り出していたことについて申し訳なく思う。そしてこの原稿自体も、そのような刺激があるかもしれないので、不安を感じる人は注意してほしいけれど、応答するのであれば正直に書きたいのでトライしてみる。

 

当該ツイートについて、シューレにて性暴力被害を受けた方から「このような投稿がセカンドレイプにあたり大変な苦痛である」との指摘をいただいた。被害者が加害者を想起する話題に触れたくないのは当たり前だ。一生見たくもない、聞きたくもないことについて、延々とサバイバーは考えさせられるのだから苦痛を感じるのは当然だと思う。ただDVDの内容について消すことは本意ではなく140字の細切れで返信するのも難しかったのでいったん時間をいただいた。そして、DVDの感想と合わせてこちらにまとめることにした。

 

結局このDVDについて感想を残す記事をこのように書いているのは、これまで性暴力被害者支援に関わった経緯を持ち、現在も少なからずサバイバーと関わる活動をしている身としては、消すことではなくシューレに関する両方を書くことが誠実であると私なりに考えたからだ。

 

DVDの内容はとても良いものだったし、不登校経験者の生の声や歴史について学べる大変貴重なものだった。以下、少し内容に触れる。1991年に不登校の子ども二人が矯正施設内のコンテナに監禁されて死亡した「風の子学園事件」という悲劇があったことや、これをきっかけに不登校の子どもたちが集まり自分たちの権利について語り合い、声をあげる動きが加速されたこと。それから2009年に「不登校の子どもの権利宣言」が作られたときのことなどが、当時の子どもたちのインタビューと共に語られる。不登校の子どもたちが過去にたくさん命を奪われてきたことは重たい過去であるものの、だれかの死という最悪の事態について知ることで、ときに苦しみの渦中にある子どもたちは自分の苦しみが自分のものだけではなかったことを知り、歴史とつながることができる。

 

以前、世界で最もLGBTが生きにくい国と呼ばれるウガンダドキュメンタリー映画の上映会を企画したとき「主人公がヘイトクライムで殺される」という悲劇的結末だったにも関わらず、参加していた当事者の高校生が「勇気づけられた」と上映後に発言してくれたことを思い出した。苦しみの渦中にある子どもたちにとって差別や迫害による死という目をそむけたくなるような現実について言及することは、かれらにとって「早すぎる」ことはない。シューレのDVDも、むしろこのようなやり方でしか私たちは権利や歴史については学べないのかもしれないと思わせる良い出来だった。

 

いろいろな批判のある組織かもしれないが、私はシューレ関係者と過去に一緒にイベントをしてきたし、LGBTQの子どもたちに関する職員研修をしたこともある。これからも機会があればするだろう。フリースクールを利用するLGBTQの子どもは多い。関係性を保つことと性暴力を許さないことは並立するはずだと考えている。性暴力はどこの組織でも起きる可能性があり、実際に起きてきたことで、LGBTQへの差別についても同じことが言える。ボイコットがふさわしい場もあるだろうが、私は今の子ども若者支援の活動をしていく以上は、さまざまなフリースクールを利用する子どもたちと関わりを持ち続けることになる。ジェンダーセクシュアリティにまつわる傷つきを減らすための活動をしている身として、繋がっておいたほうがむしろ場の安全に寄与できるとも思っている。

 

以上がシューレとの付き合いに関する私からのコメントになる。被害者のケアと、問題が発生した組織と関わりを持つことの共存が難しい場合やタイミングがある。私の言動は被害者にとってはトリガーになってしまうかもしれない(セカンドレイプとトリガーになることは同義ではないのだが、これは機会があれば別の場所で話せたらと思う)。場合によっては、私の投稿をミュートするなどのケアをお願いしてしまうかもしれない。

ただ自分の言動が被害をなかったことにすることでも、サバイバーの痛みをどうでもいいと思っているわけでもないことはここで伝えておきたい。