紅白を見逃した
朝起きたらタイムラインが紅白歌合戦におけるMISIAのレインボーフラッグ演出で埋め尽くされていた。私は憧れの人に志村貴子『放浪息子』の千葉さおりをあげるぐらいには協調性のない人間なので、紅白歌合戦といういかにも国民的イベントで人々がどんな旗を一緒に降っていても、警戒心の方が先に発動してしまうだろう。たぶん。
みんなでなんていや ひとりでうたう
— 千葉さおり (@chibasaori_bot) 2020年1月1日
私 あの先生苦手だわ クラス全員にあだ名をつけようとするのもいや 声がすごく大きいのもいや
— 千葉さおり (@chibasaori_bot) 2019年12月26日
でも、はたと考えた
旗だけに。これがジェネレーション的に馴染みの薄いMISIAではなく、自分が慣れ親しんだアーティストだったらどうだったろう。宇多田ヒカルだったらコロリと感動していたかもしれない、と思うと、なんだよ音楽性かよ。という気もする。
でも宇多田って、ペロッといろんなイシューに言及しちゃうあのオープンさが好き、というのもあるんだよなあ。テレビで曲紹介の時に「これは同性愛について歌ったもので〜」と平気で言及するし、日清カップヌードルのCM曲だった『Kiss&Cry』のもともとの歌詞が「お父さんのリストラとお姉ちゃんのリストカット お母さんはダイエット」だったのを、リストカットはCMに使うのにあかんやろということで「お兄ちゃんのインターネット」に差し替えにされていたというエピソードもすごく好きだ。ライブではこのバージョンで歌っているみたいだが、オリジナルの歌詞の方が断然いいと思う。宇多田はお母さんの精神疾患について以前からインタビューで割と触れてて、そこも好感を持っている。
救われた音楽というもの
LGBTシーンのディーバはこれ!みたいなことがよく言われるけど、ぶっちゃけ狭義のゲイシーンに縁のない千葉さおり的トランスにとってはあんまり親近感がなくて、ぎりぎり同年齢のガガ様は教養としてフォローしているぐらい。みんなが同じ音楽を聴いていたら全然レインボーじゃないので、そういうこともあるわな。
個人的には、90年代のブランキージェットシティやフィッシュマンズ、最近だと神聖かまってちゃんあたりの「死ぬか殺すか」ぐらいの方が音楽としては救ってくれた感がある(ブランキーなんて今のユースにとっては椎名林檎をグレッチでぶつ人ぐらいの認識だろうけど)。
神聖かまってちゃんの『ズッ友』について、の子は「気持ち悪い曲」みたいに内面化されたホモフォビア的言及をしているけど、PVも本当に素晴らしいと思うんだよな。
「あなたはあなたでいて良い」と他者から言われるより、自己嫌悪とかこの世界に対する途方に暮れる感覚をピックアップして、価値あるものとみなしてくれる音楽の方が好きだし、個人的にはそれこそを音楽に求めているんだろうなと思う。
最後に、ニルヴァーナのカート・コバーンの名言でも貼っておこう。
「ファンたちにリクエストがある。もし君らの中に、何らかの形で同性愛や肌の色が違う人、あるいは女性を嫌っている奴がいたら、これだけお願いしたいんだ。俺たちに関わるな!ライブにも来るな、レコードも買うな」
差別の問題をかれらは愛には回収しない。きっと、いつの時代にもたくさんの人が愛については言及している。