バラバラに、ともに。遠藤まめたのブログ

LGBTの子ども・若者支援に取り組む30代トランスの雑記帳です

カンガルーの夢

6月はプライド月間だ。トランス男性として、さらに昨今の人種差別をめぐる議論においてアジア人でもある私は、勤め先の外資系企業で声をかけてもらえる機会が多い。

社員紹介のインタビュー記事が出て、チャットでみんなに「ナイス」と声をかけてもらえる。

www.change.org

社内でもっとも英語を話せない人間である私に、こうやってコミュニケーションの機会をくれる会社には本当に感謝している。私がLGBTの権利に情熱を抱いていることは英語が堪能じゃなくてもみんなに伝わる。どんなキャラなのか伝わりやすい、という意味でトランスのアクティビストであったことは私にとってすごくラッキーだったし、私の限られた「トランスでいてよかったこと」のひとつは、英語がボロボロでもみんなに「がんばれよ」って言ってもらえることだと思う。

昨年、会社の研修でサンフランシスコを訪れた。

LGBTQの社員だけで小さな集会をもった夜は、ちょうど11月20日の「トランスジェンダー追悼の日」で、暖炉の前でみんなで犠牲者のことをおもった。

この1年だけでもわかっている限りで 331人のトランスがトランスであるという理由で殺された。単にトランスである、というだけでなくて、肌が黒かったり、ホームレスだったり、セックスワーカーだったり、女性だったりすることで殺された。

死について身近に考えたことのないLGBTQの人間は少ないだろう。他の人とちがうと気がついた子ども時代。あるいは胸が膨らんできたり、すね毛が生えてきたりすることの耐えがたい恐怖におそわれる思春期。大人になってからも、そういう人が多いように思う。

自分が出した2冊目の本に書いたが、私自身も何人もの友人を自死で亡くしている。先日はトランス男性の友人が子宮がんで去年亡くなっていたことを知った。まだ若いのに。20歳の頃、映画を観に行ってパフェを一口食べさせてくれたな。連れて行ってもらった古着屋はもう無いな。トランス男性は婦人科に死ぬほど行きたくない人間が多い。気がつくのが遅かったんだろうか。いろいろ思うけど30代過ぎた頃から、人は死ぬんだなあと思うようになった。

自死は防げる死だ、というのは公衆衛生学上はそのとおりかもしれない。死にたいという人に「好きにしろ」とは言わない。生きていてほしいと思う。でもどこかで、そういうこともあるよな、ということも知っている感じだ。

2020年6月の世界はアメリカで職場のLGBTQ差別が禁止されるなどうれしいニュースもあるけれど、トランスパーソンのひとりとしては気が滅入ることのほうが多い。

ハリー・ポッターの作者であるJKローリングがBBCのポストコロナ時代の公衆衛生について書かれた記事の中に「女性、少女または生理のある人」と書かれたいたのをみつけて「生理のある人?女でいいじゃんww」と発言し炎上していた頃、私はもちろん亡くなったトランス男性の友人のことをちらっと思い出したけれど〔生理のある人、というのは「女性の病気」と言われたら絶対に受診したくないと思うトランス男性の健康や命を守るために大切な表現だ〕、SNSではJKローリングこそが被害者ということで、世界中でトランスたたきの投稿がふきあがった。

www.cyzowoman.com

トランスヘイトのオンライン署名が立ち上がり、それを真夜中に社内チャットに投げたら「寝てんの?」と海外のトランスの同僚から心配された。そんな彼も「TERFのブログを一晩中よんでしまって寝れなかった」という。今度みんなで映画でも観ない?と誘われて、あがったのが先日私が友人たちと上映会を企画した「メジャーさん」だったので、ちょっと笑った。世界のあちこちに私みたいな人がいる。明日私がなにかの拍子で死んでしまったとしても同じような考えの人はいる。

オーストラリアの先住民のことわざに「カンガルーを殺してもカンガルーの夢を殺すことはできない」というものがある。目に見えない精霊やスピリットの話だと思うけれど、このことは他の文化圏で闘っているアクティビストの話を聞くとよく感じる。たくさんの人が殺されたり、人生に戦いつかれて死んでしまった。でも、そのあとでもしぶとく頑張っている人が世界中にたくさんいる。うまくいった話だけでなく、うまくいかなかった人たちの死にエンパワーされることもある。

先日カナダに亡命中だったエジプト人レズビアン 、サラ・ヘガジ。30歳の若さで人生を閉じた。彼女はライブコンサートでレインボーフラッグをかかげたことで逮捕され拷問や性的虐待を受けた。写真はそのときのもの。同じ夢を世界中の人がみている。

映画『メジャーさん』上映会でした

本日こちらの企画でした。

major0606.peatix.com

1969年6月に起きたストーンウォールの暴動に関わった黒人のトランス女性の中で現在唯一の生存者であるミス・メジャーのドキュメンタリー映画

彼女のパワフルさと冗談のセンス、登場するたびに違うジェンダークィアな出で立ち、刑務所や路上にいるトランス女性をみんな自分の家族として迎え入れてしまう愛情深さに圧倒される。

その一方、ドキュメンタリーを撮影している最中にもどんどんトランスたちが死んでいくことに言葉を失う。メジャーさんと一緒に活動しているという人に去年話を聞いたら、ストリートで生きるトランスの平均寿命は40歳そこらだという。

サンフランシスコを訪れたときの戸惑いはここにも書いた。

wezz-y.com

テンダーロインで暮らす有色人種のトランスたちのリアリティは私には分からないことだらけだ。ホームレスだらけのこのエリアはそこらが小便くさいし、路上に針が落ちていたりする。カフェで、メジャーさんの活動仲間から大量の「警察をプライドイベントから追い出せステッカー」をお土産でもらった。パトカーが燃えているおっかないデザインは日本で暮らす日本人には、およそ理解できないノリであったし、簡単にわかろうとしないほうが良いものだとも思った。

 

警察とプライドパレードをめぐる確執といえば、キャシーのこの記事もとてもよかった。簡単に答えが出るものではないが、このような難しい問いをちゃんと考えることが大切だと思う。

www.huffingtonpost.jp

 

ちなみに日本の警察や入管制度とトランスの関係性にも問題はたくさんある。 

news.yahoo.co.jp

独房に閉じ込め続けること自体が人権侵害で、精神を病ませてしまう。映画で出てきたのと同じ。

シューレとの今後の関わりについて

昨日あるツイートを削除した。それは今年の正月に、東京シューレの発行したDVD「不登校を経験した私たちが見た不登校の歴史と今」の内容が素晴らしかったことをつぶやいたツイートだった。これからそのことについて書くけれど、まずは自分のツイートがサバイバーの人たちの気持ちを刺激して新たなる痛みを作り出していたことについて申し訳なく思う。そしてこの原稿自体も、そのような刺激があるかもしれないので、不安を感じる人は注意してほしいけれど、応答するのであれば正直に書きたいのでトライしてみる。

 

当該ツイートについて、シューレにて性暴力被害を受けた方から「このような投稿がセカンドレイプにあたり大変な苦痛である」との指摘をいただいた。被害者が加害者を想起する話題に触れたくないのは当たり前だ。一生見たくもない、聞きたくもないことについて、延々とサバイバーは考えさせられるのだから苦痛を感じるのは当然だと思う。ただDVDの内容について消すことは本意ではなく140字の細切れで返信するのも難しかったのでいったん時間をいただいた。そして、DVDの感想と合わせてこちらにまとめることにした。

 

結局このDVDについて感想を残す記事をこのように書いているのは、これまで性暴力被害者支援に関わった経緯を持ち、現在も少なからずサバイバーと関わる活動をしている身としては、消すことではなくシューレに関する両方を書くことが誠実であると私なりに考えたからだ。

 

DVDの内容はとても良いものだったし、不登校経験者の生の声や歴史について学べる大変貴重なものだった。以下、少し内容に触れる。1991年に不登校の子ども二人が矯正施設内のコンテナに監禁されて死亡した「風の子学園事件」という悲劇があったことや、これをきっかけに不登校の子どもたちが集まり自分たちの権利について語り合い、声をあげる動きが加速されたこと。それから2009年に「不登校の子どもの権利宣言」が作られたときのことなどが、当時の子どもたちのインタビューと共に語られる。不登校の子どもたちが過去にたくさん命を奪われてきたことは重たい過去であるものの、だれかの死という最悪の事態について知ることで、ときに苦しみの渦中にある子どもたちは自分の苦しみが自分のものだけではなかったことを知り、歴史とつながることができる。

 

以前、世界で最もLGBTが生きにくい国と呼ばれるウガンダドキュメンタリー映画の上映会を企画したとき「主人公がヘイトクライムで殺される」という悲劇的結末だったにも関わらず、参加していた当事者の高校生が「勇気づけられた」と上映後に発言してくれたことを思い出した。苦しみの渦中にある子どもたちにとって差別や迫害による死という目をそむけたくなるような現実について言及することは、かれらにとって「早すぎる」ことはない。シューレのDVDも、むしろこのようなやり方でしか私たちは権利や歴史については学べないのかもしれないと思わせる良い出来だった。

 

いろいろな批判のある組織かもしれないが、私はシューレ関係者と過去に一緒にイベントをしてきたし、LGBTQの子どもたちに関する職員研修をしたこともある。これからも機会があればするだろう。フリースクールを利用するLGBTQの子どもは多い。関係性を保つことと性暴力を許さないことは並立するはずだと考えている。性暴力はどこの組織でも起きる可能性があり、実際に起きてきたことで、LGBTQへの差別についても同じことが言える。ボイコットがふさわしい場もあるだろうが、私は今の子ども若者支援の活動をしていく以上は、さまざまなフリースクールを利用する子どもたちと関わりを持ち続けることになる。ジェンダーセクシュアリティにまつわる傷つきを減らすための活動をしている身として、繋がっておいたほうがむしろ場の安全に寄与できるとも思っている。

 

以上がシューレとの付き合いに関する私からのコメントになる。被害者のケアと、問題が発生した組織と関わりを持つことの共存が難しい場合やタイミングがある。私の言動は被害者にとってはトリガーになってしまうかもしれない(セカンドレイプとトリガーになることは同義ではないのだが、これは機会があれば別の場所で話せたらと思う)。場合によっては、私の投稿をミュートするなどのケアをお願いしてしまうかもしれない。

ただ自分の言動が被害をなかったことにすることでも、サバイバーの痛みをどうでもいいと思っているわけでもないことはここで伝えておきたい。

どこでも視察に行けるわけではない

どうすれば再発防止できたのか

虐待などの理由で居場所のない10代女子を支援している団体に、国会議員がたくさんやってきて問題を起こした件が話題になっている。

togetter.com

最初読んだとき、そもそも視察者が5人だったとしても場の安全を守ることは難しかっただろうと思った。それ以上来たなら、通常は追い返すだろう。

私は彼女たちの活動をリスペクトしている。彼女たちだって通常なら追い返すはずだが、そう判断できなかったのは、視察によって予算がつくかもとか、もっと多くのユースを助けられるからかもとか期待したからだろう。

私も若者の居場所づくりを行う団体を運営している。元文科大臣がくると聞いたら期待すると思うし、通常の判断ができなくなる可能性は高い。このようなときでも例外はないんだと踏みとどまる胆力が必要なんだろうな、と今回のことで個人的に学んだ。

多くの団体の悩みごと

子ども若者の居場所づくりをしている団体は、視察を断ったり、どうしても受け入れる場合にも「子どもには話しかけさせない」とか「スーツ禁止」とか、いろいろ条件をつけたりすることが一般的だ。

私が運営に関わるにじーずは、勉強目的で非LGBT当事者が参加することや大人の見学を断っている。講演依頼をしたかったとか、私と話せると思ったとか、勉強させてもらえるとか、いろんな期待をした大人から問いあわせが来る。実際に来てしまう招かれざる客には、もちろん帰ってもらう。開催場所を公表しているグループは、どこも似たような苦労をしているだろう。「子どもたちと過ごすための時間で、あなたと話す時間ではない」のだが、それは伝わらない。

中には大人が入れるグループもあるので、同じように歓迎されると誤解する人がいても仕方がないのかもしれない。傷ついた人たちが集まる場所に対して、安易に視察や見学の申し出をしないこと、アポなし訪問は論外だということ、視察は断られることもあるということが、もっと当たり前のことになってほしいと思う。

そして今回、自民党の議員がやらかしたことで「だから自民党は」と言われたり「だからおっさんは」と言われているがどの政党の人間でも、右でも左でも、性別を問わずやらかすことは承知している。知りたいことは本でもセミナーでも情報を得られるはずだ。現場を見るのがいちばん、という現場第一主義自体をみなおしたほうが良いと思う。議員だけでなく、知りたがりの人がみんな陥りがちなことだと思う。

トリガーと不当行為について

今回、馳浩元文科大臣が行ったとされるセクハラに関して擁護する余地はない。

(一連の議論の中で、馳浩同性婚否定派であることを批判したツイートに対し、彼が自民党の中でだれも取り上げなかったLGBTの課題に最初に目をむけた功労者であることは反論した。LGBTの自殺対策や子ども・若者について取り組もうとしてくれたことにはずっと感謝しているし、同性婚LGBT施策の最優先課題だとは私は思っていない)。

その前提で、スーツを来ること、大人が複数人でいること、身体が接触するような狭い場所ですごさせることそのものが、ハラスメントを受けたのと同様のしんどさを感じさせる(トリガーを引く)状況になっていただろうとも感じた。

抗議文の中には、視察団の態度の悪さの例として「議員秘書が”女の子だから”と荷物を持とうとしたこと」「タメ語で話したこと」など、さまざまなことが書かれているが、(性別役割分業には反対だが、それとは別の文脈として)、安全性が壊されていた以上、荷物を持っても突っ立っていてもやっぱり問題になったのではないかと感じた。

#MeTooムーブメントの課題として、被害者と同じトーンで怒ることが善で、それ以外の言説はセカンドレイプとしてしまう現象がある(実際にセカンドレイプも多いのだが)。ただ起きていることの検証ができないと再発防止につながらない場合もあるのではないかとも感じる。今回のことは不当行為があったというだけでなく、そもそも視察自体が望ましくなかったケースだったのではないかと思うし、不当行為がなかったとしてもサバイバーを支援する現場が混乱に巻き込まれることは往々にしてあるものだ、という(よくある)話ではないかと感じた。

性別役割分業や「なめている感じ」などについては、身近な性差別についてみんなが考えるようになるのには大切なことだと思うし、私を含めて性差別の加害に無縁な人はこの社会にはひとりもいないことも事実だろう。でも、それは「あいつらが性差別をする」という加害者の他者化とは別な気がするし、それでは同じことが繰り返されるようにも感じる。

ちょっとまとまらないのだけど、このへんで。

 

 4月27日追記

今回の事件で仁藤さんは場の管理者であり被害を受けた「女の子」とは異なる立場にいる。なんらかの当事者性を持つ人が支援者に回ることはよくあるが、セーフスペースのあり方について議論することがセカンドレイプに該当するとは思わないし、どのセーフスペースも安全性の配慮については試行錯誤しながら、反省しながら取り組んでいるのが実態であると思う。

 

2020年春にLGBTQコミュニティでたぶん起きていることについて

新型コロナとLGBTQ

先日のWezzy連載にも書いたが、昨今の外出規制によって、アメリカでは若年層のLGBTQ向けの自殺予防に取り組む「Trevor Project」への相談が倍増しているらしい。

wezz-y.com

関連して日本ではどうですか、と取材を受けるけれど「そもそもみんながどんな状況か把握できていない」のが一番のヤバさだと思う。

若年層向けのLGBTの居場所づくりをしているにじーずでは、いまこそデジタルユースワークだぞ!!という感じで、ツイキャスで番組をはじめたけど、いつもみたいにみんなと会って話したりはしてないし、把握していることなんてごく一部だと思う(家族と過ごす時間が長くなったおかげで、関係がよくなった子もいて、よかったなと思った。)

www.youtube.com

結局は収束した後に「みんなどうだった?」って会って話してようやくソーシャル・ディスタンスがLGBTQコミュニティにもたらしたものについて輪郭が掴める感じじゃないだろうか。

今のところあがっている声としては、LGBTQの人たちへの影響としてはこういうものがあると思う。

  • LGBTQ向けの飲食店やバーなどの休業
  • 非営利団体や行政による支援事業の休止
  • 実家勢の場合、理解ない家族と過ごすストレス
  • 講演会や啓発イベントの中止
  • パートナー、恋人、同居人からの暴力
  • 同居人の存在を隠している人のプライバシー危機
  • タイでの性別適合手術延期による見通しのたたなさ
  • ホルモン個人輸入や通院の中断

ほかにも、もっと一般的な感染不安やストレス、経済危機などもある。トランスの人たちは不安定な雇用形態の人たちが多いから、より脆弱なところに晒されやすい、みたいなところもある。

どうしたらいいか、について

おそらく対処法としては次の3つがあると思う

 

  1.  平常時の状況を変える
  2.  コロナ後の選択肢を増やす契機と捉える
  3.  より抜本的に考える

1 . 平常時の状況を変える

そもそもタイで性別適合手術しなきゃならない日本国内の医療資源の弱さをなんとかしよう、同性の同居人の存在がばれたら社会的に死ぬ、みたいな不安を感じさせる社会状況を変えよう、というもの。そんな簡単にできるかよと言われそうだけど、でも結局には日頃の状況のまずさを改善しないと難しい部分はあるなと。

2.コロナ後の選択肢を増やす契機と捉える

オンラインで若年層のLGBT向け番組をやったら、普段遠くに住んでいて参加できなかった子たちが喜んでくれた。イベントのライブ配信についても同様だった。乙武さんもnote.で書いていたけれど、もとからアクセスできない人はいるし今後もいる。

note.com

事態収束後も自宅などからアクセスできる資源を増やすことは価値があるし、今はその準備期間と考えてもよいかも。

 

3.より抜本的に考える

今は飲食店の人も、映画館の人も、ライブハウスの人も、ひとりぐらしをはじめた学生も、みんな困っている。個人的にはLGBTQが、というより「消費税を下げる」とか「もっと投票にいこう」とか、より抜本的な変革が必要だと感じる。同じように、この状況で困っているLGBTQユースを助けたいと思うなら、虐待/DV/労働相談/貧困関連の既存の相談機関がLGBTQも安心して使える仕様になるよう働きかけるのが良いと思う。特化型でできることの限界も感じる。

 

新しくLINE相談したらいいかな、電話相談を増やしたらいいのかな、インスタ ライブで悩み相談をしたらいいかな、とあれこれ考えたけど、今はつなげられる社会資源自体がほとんど機能してなく、リファーできるところが少ないのももどかしい。社会資源を増やすこと、LGBTに特化したものじゃないものでも使えるように働きかけを続けることが大事だな、という想いが強まっている。

『全国データSDGsと日本 誰も取り残されないための人間の安全保障指標』に寄稿しました。

COVID-19の感染拡大のため、日本全国えらいことになっていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

本に寄稿したよ!

このたび発行された『全国データ SDGsと日本 誰も取り残されないための人間の安全保障指標』(NPO法人「人間の安全保障」フォーラム 編、高須幸雄 編著)の中で、LGBTに関する章を友人の松岡宗嗣さんと担当したので、今日はそのご連絡です。

www.akashi.co.jp

SDGsの中にはLGBTなどの性的少数者について明示的に書かれた部分はないんだけど、国連の「だれも取り残さない」という「だれも」の中には当然にLGBTも含まれているわけで、その観点からどうSDGsを読み解けるかという記述になっています。

国連におけるSOGIの政治的使われ方

「だれも」の中にLGBTは当然含まれるけど明示することはできない、というあたりに現在の国連の立ち位置がよく現れています。

数年前にニューヨーク大学のオンライン講座でGlobal LGBT Rightsについて勉強したとき、国連ではLGBTアンチな各国に配慮するためにどうしても「ゲイ・レズビアン・・・」という言葉は使えなくて、世界人権宣言の「人は生まれながらに平等にして自由」の概念を踏まえながら、SOGI(性的指向性自認という、みんなが誰でも有している属性の話なんだよ!)なら頑張ってなんとか使えるという話が出ました。

性の多様性をめぐる問題を語るとき、LGBT(ないしLGBTQ+でもいいんだけど)みたいな「いないことになってる人の権利回復運動」という設定でいくのか、SOGIという「血液型みたいにみんながもってる属性での差別を無くしましょう」という設定でいくのか、どちらがいいのかと聞かれることが多いんですが、個人的には前者を好んでいて、なんでかというと、後者は多数派とされる人の特権を問うことが難しくなるし、結局「ゲイ、レズビアン 、・・」と口に出すことも難しい人たちの内的な差別に向き合わなくても済まされてしまうところが嫌だな、と思うからです。

ただ、法律を作るときなどはアイデンティティ・ベースではなく、属性による差別を禁じる書き方になるので、使い方次第かなと。LGBTQよりSOGIの方が望ましいし包括的みたいな単純化には、もう少し掘り下げて議論したいなとは思います。

www.youtube.com

「性的多様性は西洋的価値観であり我が国の伝統的価値観や風習、文化とは異なる」との価値観にチャレンジするため、さまざまな文化圏でのビデオを国連は作ろうとしてて、アプローチ方法として面白い。

 

本、関心ある人は手にとってみてください。

就職後も活動を続けるにはどうしたらいいか

学生サークルでよく出る話題

最近、知人らと「就職後も活動を続けるにはどうしたらいいか」という学生からの質問にどう答えるか、という話題で盛り上がったので、ちょっとまとめておこうと思う。

時間がなくなる?

私の場合、大学1年のときからLGBTに関する活動を始め、休日のほとんどをイベントやミーティングに費やした。学生団体のミーティングは6時間以上にわたることもあって、昼から始まって夜8時ぐらいに終わって、それからごはんに行って、また長い話し合いになって・・という持久戦だった。こういう生活をしていると、当然「就職したらどうなるんだろう」という不安は出てくる。就職したら、毎晩残業させられて、クタクタになって、休日は何もできなくなるんじゃないか。自分にはどうしても変えたい「**」という社会課題があって、それを変えることが人生のミッションぐらいに真剣に思っているのに、このままいくと何もできない社会人とやらになってしまうのではないか、という危機感だ。まぁ、わかるよ。

考えられる方法3つ

このような悩みを持っている場合、おそらく3パターンの方向性が考えられるのではないかと思う。

一つめは、共感できる組織に入ること。活動そのものが仕事になってしまえば、あるいは、業務時間内に社会課題に関われたら最高だ。共感するNGOで働く、企業のCSR部門やダイバーシティに関する部門に行く(なかなか難しそう)、弁護士などの専門資格を取って活用する、政治家になるための準備をするなどが該当する。

自分が起業する方法もある。NPOの活動を支援している団体、私の場合にはNPO法人ETIC.がやっているイベントにいくつか参加したのは参考になった。私が就職活動をしていた10年ぐらい前は社会起業家ブームで、社会課題を解決するために起業する人たちが注目を浴びていた。ジャンルによっては有効かもしれない。

最後に、仕事はライスワークと割り切って、業務時間外に好きなことをやる方法もある。なるべく残業が少ないところを選ぶのがポイントか(ちなみに私はこの道を選んだ)。

自分がどれだけリスクを許容できるか、お金がどれくらい必要か、何が優先順位かなど個人差があると思うので、その中から総合的に判断することになるだろう。

定時後に活動する方法

私の場合には地方公務員の専門職で7年ほど働いた後、自分の許容できるリスクの範囲内で非営利組織に転職した。私の配属された部署はさいわい残業はほぼ無く(地方公務員でも残業だらけの部署はある)20代で体力のあった頃は平日夜に2〜3時間は活動関係に時間を費やせた。

でも30歳手前で持病を抱えることになり、平日夜はほとんどパソコンに向かえなくなった。今思えば、昼休みにケータイの留守電にメディアからの問い合わせが数件溜まっているのをさばいたり、通勤電車の中でメールを大量に返したりしてたのは体力のある健常な若者だからできたことだと思う。

地方公務員には兼業禁止規定があるが、出版は自由にできるし講演や有償ボランティアができる場合もある。また特定の行為をのぞき政治活動も行える。地方公務員法をまずはよく読んだ上で必要なら職場で手続きをとるべし。

時間を有効に使うには

長時間労働は諸悪の根源だ。人間から余裕を奪い、学びの機会を遠ざけ、こうして諸問題は解決されず社会は停滞する。だから日本の職場の働き方を改善することが、そもそもの大前提としてとても重要だ。

その上で、働きながら何かを変えたいと思っている人は、やっぱり時間をどう上手に活用するかがポイントになってくるだろう。

今の時代にはインターネットを活用しない手はない。私はオンライン署名サイトで働いているが、ここで出会う人たちの大半は「仕事をしながら社会活動をしている」人だ。賛同人を募るという署名ならではのスタイルを取らなくても、もしインターネットの海の中で自分の考えを発信し、他人からアイデアをもらい、仲間を集めたいと願うなら、自分の想いや考えをまとめて表現する能力は重要になる。

文章を書くのか、ツイキャスYouTubeで喋る方が好きか、イラストが得意なのか、人によると思うが、自分なりの伝える能力を持つことが大事だ。それを鍛える機会としてブログでもnoteでもTwitterでも活用してみることをおすすめしたい。

ミーティングも、6時間ぶっ続けでやる体力は枯渇すると思うので、短くやるための方法を学ぶべし。これは会社に就職する人なら、そこの先でスキルをパクってもいいと思う。

学生サークルのメリット

 社会人になってから「友達」を作るのはなかなか難しい。社会人のミーティングは学生のそれより短いし、終わった後の飲み会とかも学生ほど悠長に時間をつかえない。時間短縮のために顔を合わせるのもZOOM(テレビ電話)となると、くだらない話や悩みを語り合う時間、のんびりケンカしている時間がなくなってしまう。

インターネットは活動を効率化することはできても、たわいのない会話や余計なやりとりやケンカには向かない。それをリアルで時間をかけてやれることこそ学生の強みかもしれないから、「効率化の圏外」にあることをたくさんしておくと、社会人になった後に経験が生きてくるんじゃないかと逆説的に思う。

思いついたことがあれば補足します。